4月1日に、金峰寺たよりを檀家さんに発行させていただきました。
その一部抜粋を、掲載いたします。

 

「六文銭」

 先日、お通夜の前に、納棺師さんが、
「棺に10円玉を何枚か入れますか?火葬した後に取り出して、皆さんでお守りとして持っていただいても構いません。」と説明しているのを聞きました。

 きっと六文銭のことでしょう。六文を三文ずつ、横に2列並べた形で、六文銭(ろくもんせん)や六道銭(ろうどうせん)と言われているものです。真田家の家紋としても有名ですが、実は「三途(さんづ)の川の渡し賃」だと云われています。

 三途の川の「三途」は、お花畑に囲まれた小川をイメージする方が多いと思いますが、これは「魂」の記憶の川ですから、人によってその様子は違います。

 私達は、何気ない日常の中で、多くの行動をとります。実は、その一瞬一瞬の行動は、写真に切り取ったかのように、正確に、色あせることもなく、魂に印象づけられています。
 亡くなってからも、その魂に焼き付けられた一瞬一瞬の印象は、刻みつけられたままで、決して忘れてはくれません。この「印象のかたまり」が三途の川となり、目の前に立ちはだかります。

 善い行いを心がけて、徳を積んでいらっしゃる魂には「せせらぎ」に感じられ、無責任な行動ばかりを行ってきた魂には「濁流」と感じられることでしょう。流されてしまったが最後、もう一度人間に生まれ変わることは出来ません。「三途」という言葉は、その行き着く先のことを意味するそうです。この川の先で、魂が見る景色はどんなものでしょうか。

 夫婦げんかの怒りの火花は、地獄の底の火の粉が混じっています。親を大切にしない心の隙間風の、その風上には八寒地獄が覗いています。先祖供養を怠る甘さには、餓鬼が舌なめずりをしています。
 昔話は雄弁に、その景色を物語っています。妄想や空想ではありません。

 葬儀の導師は、その魂に、仏様までの道案内をするお仕事です。歩くときは、お大師様がご一緒して下さいます。それが引導作法(いんどうさほう)と云われるものなのです。

 江戸時代、大井川や天竜川を渡るのに肩車してもらう料金は、本当に六文だったそうです。
 きっと、昔の方々は、故人が三途の川を渡るのを想像して、「困ってはいけないな」と、偲びながら六文銭を紙に切って棺に入れてくれたのでしょう。